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店主コラム

ピアノサークル「カフェ・スモールピアノ」の店主"いなやん"のたわごと
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ピアノは教養か
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     今面白い番組をやっていたのでつい見てしまった。これは爆笑問題と東大教授で「教養について考える」とかいった趣旨の番組である。 私は最近あまりテレビを見ないのだが面白そうでついつい最後までみてしまったのだった。爆笑問題の太田は結構言いたいことをいうがこれが結構本質を突いてたりして面白い。
     爆笑問題の田中は太田発言のフォロー役と考えるとやはりメインは東大の小林教授と太田といえる。どういう思惑でこんな番組ができたのか2人それぞれの思惑を想像すると面白い。 太田は東大学長が新入生に対する抱負をかたるDVDをみてまず吠える。「なぜ東大生が地球全体のエリートなんだ。東大出でたからといってなんでそんなことができるんだ」そして「俺達芸人は常にお客の反応で変な方向に進むのを戻せるんだ、東大みたいな閉鎖的な環境だとそんなものはなくアキバ系と同じで全く変なところにいって帰ってこないのじゃないの」。 教授はこれに対してはまったく同意して話はディベートにならない。
     つぎに学問は何のためにやるのか。キーワードとして「楽しい」「感動」とかでてきた。 それらはみているとどうも太田ペースともいえる流れだった。 太田は結構色々な本を読んでいるようで西田幾太郎の「善の研究」などが話しにでてくるなど彼の知識ベースの広さを窺わせる会話もあった。
     そもそも教養と言う概念は西洋から来たものらしい。今は教養があるといってもそれほどインパクトのある表現ではなくなった。今は「勝ち組」とか「儲け力」といった結果を重視する時代なのだ。では教養とか学問のめざしたものは何だろうと問われるとテレビでは実質的なものを重視するような風潮になっていたがそうではないと思う。学問とか教養とかいえるのはそれこそ生活基盤がしっかりしていてそれこそ食っていくのがやっとではなかなか視野にはいってこないと思うのだ。(そういう意味では昔の貧乏学者は尊敬できるかもしれない)そりゃそうでしょ。やはりマズローの欲求5段階説ではないが人間衣食住が満たされていないと次にはいけない。 それでは衣食住が満たされるとどうか。 そうすると「人生とは・・」とか「神はいるか・・」というのが人間には問題になってくるのだ。それを追求しようとするのが学問であり、そういったことを追及する知識ベースが教養といったほうがなんかしっくりするような気がする。(これは全く勝手な持論です)レオナルドダヴィンチは美や人間の謎を解明しようとした。バッハは音楽から神の存在を理解しようとした。 俺はそんな気がする。 中世の西洋では学問といえば哲学が中心だったのだ。では教養はどうか。そういった事柄を会話するのはやはり西洋のゆとりある上流階級の人々だけでそういった人々のコミュニュケーションの道具として教養といったものがつくられたのではないか。 そういう風に理解するとこの言葉がしっくりくる。(私だけでしょうか) タイトルはピアノは教養かであった。クラッシックピアノを学ぶというと教養という感じがする。しかしポピュラーやジャズでは教養といったニュアンスがしない。ジャズが教養に含まれたらそれはジャズのプリミティブなパワーが失われるような気がする。このことから自分の作った定義は正しいと自己満足にひたるのであった。
    | - | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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